ドラゴンズファン12年生

●野球に無縁→パートナーの影響でいつの間にかドラゴンズファンへ…東京からドラゴンズな日々を綴ります

洲崎球場の跡地~大野雄大に思いを馳せる~

「今年こそ、バンテリンドームでの試合観戦をしたい!」。緊急事態宣言は解除になるものの、コロナ以前通りに戻ったとは言えないシーズン前の状況です。

家族で行くとなると大ごとになるので。もう少し先、夏ごろが目途かな。

オープン戦も始まったとはいえ、なかなか球場には足を運べません。が、今日は、真冬の寒い日に訪れたとある球場…の跡地を紹介します。

 

洲崎球場の跡地です。なんと、今の住所に引っ越してきてから近くを何度も通っていたのでした(まだまだ知らないことだらけ…)。

 

・洲崎球場とは

昭和11年~13年という、たった三年間だけ稼働した球場。8月に着工、10月に完成、11月に初試合という急ごしらえの球場でもありました(中日新聞より)。後に載せる記念碑内の文章にもありますが、当時は東京にプロが使える球場がなく、このような突貫工事となったのだそう。

 

ここは、沢村賞沢村栄治さんがノーヒットノーラン(2度目)を記録した球場です。記録が確かに残っています。

無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン) | 各種記録達成者一覧 | 達成記録 | NPB.jp 日本野球機構

他に、珍しい記録としては「満ち潮による試合中断」というものもあるとのこと。この辺り一帯は埋め立て地なのでそんなことがあり得るのですね。

 

・場所

東京メトロ東西線東陽町駅から、永代通りを自転車で3分ほど進み右折。少しゆっくり漕ぎながら見ていくと…ありました!

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周りは大きなビルが立ち、球場があった気配を感じません。

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通りの向かいから見た様子。

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知らなきゃ見逃してしまいそう。横に立ってみた感じから高さは180㎝くらいか。


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 以下、記念碑内の文章の書き起こしです。

伝統の一戦(巨人・阪神) 誕生の地」

「須崎球場(別称・洲崎大東京球場)は、日本プロ野球草創期の野球場で、昭和11(1936)年2月、「職業野球」参加のため結成された野球チーム「大東京軍」の本拠地でした。

 プロ野球結成への気運は、昭和9年開催の日米野球で高まりました。同年12月に大日本東京野球俱楽部(現在の読売巨人軍)が結成されると、東京、大阪、名古屋に相次いでプロ球団が誕生し、昭和11年には7球団によるプロ野球公式戦が開始されました。

 しかし、東京にはプロが使用できる野球場はなく、在京球団の本拠地建設が急がれました。そのため、洲崎球場は、わずか3ヶ月ほどで完成し、秋のシーズンの最後を飾る「東京二次リーグ戦」が開催されました。シーズン終了後には、巨人とタイガース(現在の阪神)による初のプロ野球日本一決定戦(3連戦)が開催され、沢村栄治投手擁する巨人が初代王座を獲得しました。この試合は、日本プロ野球史上屈指の好ゲームといわれ、洲崎球場が最も輝いた時でした。現在でも「伝統の一戦」と言われる両チームの熱戦は、ここから誕生しました。

 日本プロ野球の歴史を刻んだ洲崎球場は、昭和13年の3試合を最後に閉鎖されました。わずか3年間とはいえ、日本プロ野球界反映の礎を築いた貴重な野球場跡として記録に残すものです。 

 平成17年2月                        江東区教育委員会

 

 ※大東京軍とは…

大東京軍→ライオン軍→朝日軍→戦後には太陽ロビンス松竹ロビンス大洋松竹ロビンス大洋ホエールズ横浜ベイスターズと名を変え、今日の横浜DeNAベイスターズにつながっている

と、あります。※ライオンミュージアムプロ野球(戦前編)より。

 

現地に行ってみて

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(1月半ばの寒空)

この辺りにボールが飛んでいたのでしょうか。

 

 野球の歴史が始まった頃の選手についてや、当時のことは正直あまり知りません(調べつくしてから書いたら、いつになるか分からない…)。でも、まさにここで躍動していた沢村氏がいたからこそ、現在もその名を掲げて残る沢村賞。それを大野雄大が受賞したと思うと、繋がっている!とひしひしと感じた次第です。

 

  立ち止まる人がいたら、どこのファンなのか聞いてみようかな…としばらく傍にいたのですが、皆どんどん通り過ぎていきます。あまりの寒さに僅か10分で断念した根性なしです(この日の朝、雪が降りました)。代わりに、向かい側の警視庁第九機動隊の前にずっと立っている門番の方に「あの記念碑を見に来る人はどれくらいいますか?」とお尋ねすると「平日は仕事で行き来する人が多いので、立ち止まる人は殆どいませんね。土日の朝の散歩ではたまに見かけますけど…」「今まで3人くらいです」とのお話でした。一日中立っているわけではないので、とお断りがあった上、彼がどれくらいこの仕事をしているかも謎です。質問者が要領を得ていなかったですね。多分、そう多くはないと思われます…。

 

さらに足を延ばして江東区役所へ。模型があるというので、行ってみたところ「3~4年前のリニューアル前はあったんですけどね…」と既に展示はされておらず残念。模型は、この洲崎球場についての本を書いた方が知人の建築士と作成したものだそうです。

 

都内の方は、免許の更新でこの辺りを訪れる機会もあるかもしれません。

江東運転免許試験場の斜め前です。小さな記念碑ですけれど立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

感慨に浸りつつ。状況が良くなっていれば東陽町付近の美味しいと評判のお店に立ち寄るのもおすすめです。(麺屋吉左右、カマルプール、ラ・ポルトルージュetc)

 

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ん?なぜ、はてなの単語にリンクされる機能(?)はオフにしているのに…?原因がわからないのでひとまずこのままUPしてます。